1985年春、ハワイにて。ファースト写真集撮影時
昨年12月7日にこの世を去った歌手で女優の中山美穂さん(享年54)。今年4月に開催されたお別れ会には、約1万人のファンが参列して美穂さんとの別れを惜しんだ。
1985年6月に「『C』」で歌手デビューし、今年6月にはデビュー40周年を迎えるはずだった。1982年、当時12歳だった名もなき少女を原宿でスカウトし、世界中の誰よりも愛されるトップアイドルへと育てあげたのが芸能プロダクション「ビッグアップル」創業者の山中則男氏だった。
人気絶頂期から1988年に社長を退くまで、“2人で駆け抜けた”6年間。当初はオーディションで落ち続けた泣かず飛ばすの日々、転機となったドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)での苦悩、生立ち、美穂さんの最期など、彼女の知られざる素顔が初めて明かされた。
山中氏の著書「中山美穂『C』からの物語」(青志社)より一部抜粋、編集して紹介します。(全3回の1回目)
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いつの間にか僕は、ただひたすら美穂の名をぶつぶつ、つぶやきながら椅子から立ったり座ったりして落ち着きを失ってしまった──。
前の日の12月6日、大阪でのライブコンサートに備え、新幹線品川駅で事務所スタッフ、鈴木社長らと待ち合わせをして、大阪へ行く予定だった美穂。集合時間の9時になっても美穂は現れず、携帯もつながらない状態だった。そこで、マネージャーと鈴木社長で渋谷の美穂のマンションを訪ね、応答がないため、スペアキーで開けて入ったところ、バスルームで湯船の中で息絶えていた美穂を発見した。